頭がよくなる思考術


言葉を使う時だけ人間はほんとうの意味で考える。紙に文字を書いて考える

言葉を正しく知らないのなら、聞いたこと、読んだことを正確に理解できていないのは当たり前だし、正しく表現もできていない。言葉の意味を正確に知る

理解しているつもりでも、それは相手の意向や立場についてわかったということであり、言葉で伝えられた内容の理解はかなり曖昧だ

自分の考えを他人の考えのようにみなして批判することによって、更に良い考え、より広い有効性を持った考えに発展させることが出来る。(弁証法)決して非難するのではなく、批判するのだ。

考えるときには感情と好き嫌いを自分から話して置かなければ正しい判断は出来ない

その場で損得勘定をするから何が正しいのかわからなくなる。人間として何が喜ばしいかを基準にすれば、決断は正しいものとなる。多くの人にとって何が喜ばしいかを基準とする。

様々な意味での保身、くだらない自尊心を捨てる。疑問に思うことは素直に尋ね、尋ねられたら何一つ隠すことなく答える。これにより、相手も自分も問題の輪郭がはっきりと分かり、疑心暗鬼が消え、無駄に苦しむことなく解決への道を見つけることが出来る

知識はただの興味の連続によって得られる。もっと深く知りたいという強い興味がひとつながりの多くの知識を呼ぶことになる。知識の深さ、広さが知恵を形成することのなる

どんな形で教わろうとも、自分の頭と言葉で一度考えなおしたものしか人間は本当の意味で理解できていない

他人の思惑を考慮することは結果的には徒労に終わる。もちろん他人の思惑を考慮した上での自分の考えや態度も無意味に帰する。現実を生きるために排除すべきは、くだらない思いや意見を持っている他人ではなく、自分が事実だと思い込んでいる妄想なのである

人間は、しばしば知識に合わせて物事をゆがめてみる癖がある。生半可な知識があると、そこには見えない物まで見えているように錯覚してしまう。言葉や名称はいつも物が実在していることを証明するわけでもないし、あらゆるものごとや観念の全体を表しているわけでもない。

心配は悪と心得よ
心配の中身は妄想。悪いことをあれこれと想像して一体何になるのだろうか。実際は自分の妄想と遊んでいるだけの人間である。

才能があるかどうかを知るのは簡単だ。才能があると自覚していれば才能がある。本当に才能が有るものは他人には言いたがらない。他人には簡単に理解されないと思っている。

超越の目。理性の目を働かせる。この眼があればどういう状況にあっても自分を見失うことがなくなる。感情に流された愚かな結果を呼ばなくなる。その場の感情や勢いのままくだらないことを言わなくなる。人を赦せ(ゆるせ)るようになる

数学的に量や質だけで決めようとする心自体が狭い。問われているのは等分のことではなく、各自の満足にあるということ

眼の前にある事柄ばかりをみるその場だけの見方。日常の具体的な事柄に対応する眼 「近視眼的」
全体の中でどの位置にあって、どのような役割を果たしているかを見る眼「全体的に見渡す眼」

何をするにしても人間は結果のために行動すると、結局は日々の意味を失い、総じて生きることの意味を失う。結果と報酬を目的としてはいけない

迷いや停滞こそゴールが近いことの証拠だと歓迎する。何をするにしても、ある程度のしんどさを克服しなければならない。迷いや停滞が深いほど、克服して進む喜びは大きい。であれば、迷いや停滞は歓迎すべきものだ

いかに人生の要所要所においてさまざまな偶然が起きていまの自分を作ってきたかに気づく。多くの偶然のストーリーが織り成し、全体として必然となってきた。誰の場合においても、欲しいものは全ててにはいり、強く執着しなかったものは消えていく。そして後から気づくと何もかもが絶妙に絡み合い、全体を形成しているものとわかるものだ

パスカル「現に味わっている快楽を偽りと感じ、まだ味わわない快楽のむなしさを知らないところから、移り気が生まれる」

人生をどんな色で塗るかは、自分がどの絵の具を選ぶかにかかっている

問題の中に答えを見出すことが出来れば、問題は一変して尊いものとなる。自分の人生に必要なものとなる

雑用は決して不要な事柄ではない

どんな職業であっても、慣れ、習熟し、愛するほどに深っく関わっていかなければ、約束の喜びには達しない

何かに価値を与えるのは常に自分自身。他人ではない。

幸せは偶然に得られるものだ。しかし、自分がまじめに力を尽くすならば、仕事においても生活においても必ず満足が得れれる。満足は自分の行いによって、その必然的結果として得ることが出来る。幸せは偶然にしか得られないし、その偶然がいつ来るかわ分からないが、満足はすぐに得ることが出来る

時間は単に物理的なものではない。多くあるからと言って多く利用できるとは限らない。

忌憚なく意見を言い合うところからしか新しい考えや発見は生まれはしない

わからないことから逃げても、またいつか形を変えて同じ問題が出てくる。わからないことに出会うことが面倒になった時、人は過去の繰り返しで適当に済ませてしまう。これがマンネリ
カッコ悪いのは、わからなくて色々失敗することではなく、わからないことから目をそむけて逃げること



言葉を正しく知らないのなら、聞いたこと、読んだことを正確に理解できていないのは当たり前だし、正しく表現もできていない。言葉の意味を正確に知る必要がある。様々な意味での保身、くだらない自尊心を捨てる。疑問に思うことは素直に尋ね、尋ねられたら何一つ隠すことなく答える。どんな形で教わろうとも、自分の頭と言葉で一度考えなおしたものしか人間はほんとうの意味で理解できていない。幸せは偶然に得られるものだ。しかし、自分がまじめに力を尽くすならば、必ず満足が得れれる。満足は自分の行いによって、その必然的結果として得ることが出来る。幸せは偶然にしか得られないし、その偶然がいつ来るかわ分からないが、満足はすぐに自分の努力によって得ることが出来る。
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