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清水幾太郎:論文の書き方

6.多量の精神的エネルギーを放出しなければ、また、精神の戦闘的な姿勢がなければ小さな文章でも書くことは出来ない
9.かなり硬い書物を選んで、それを丹念に黄泉、短い髪数で紹介を書くという方法は、広く初歩の人々に勧めることが出来る
11.土俵がせまいから負けたので、土俵が広ければ勝ったのだ、というのはナンセンスである
18.たくさんの単文は、相寄って機械を組み立てている部分品の様なものである。短い文章は長い文章の絶対の前提である。
20.文章を書くとき、まず答えようとするイメージがわく。イメージが浮かぶのと同時に、いくつかの観念がパッパッた閃くものである。こういう観念や思いつきを大切にする。すぐに書き留め、それを深く考えること、書物などでよく調べること。考えられ、調べられ、それが紙に書き付けられると、それはもう部分品に近くなる。部分品に作り上げていくと、それが進行する過程で、二つの新しい事実が生まれる。今まで考えもしなかった観念や思いつきが心に浮かんでくる。そしてこれをまた大切にする。部分品が出そろって着始めると、最初のイメージ事態が変化してくる。曖昧だったイメージが明確になってくる。部分品の一部が、不要になったりもする。全体と部分との間の、イメージと観念との間の相互的往復が必要になる。短文というのは、絵でいうところのデッサンであり、デッサンを研究してからでないと大きな油絵が描けないのと同じで、文章も短文の研究を十分に行ってからでないと長い文章は書けない
46.文章を書くときは、多少の差し障りを覚悟してかかる必要がある
51.明るい話題 「ほほえましい」「こころあたたまる」「ほのぼのとした」
57.「が」は一般に、「しかし」「けれども」前の句と多少とも反対の句が続く。反対の関係が非常に強い場合は「にもかかわらず」の意味に使われる。第二に、前の句から導き出されるような句が続く場合には「それゆえ」「それから」の意味で使われる。第三に反対でもなく、因果関係でもなく、「そして」という程度の、ただ二つの句をつなぐだけの、無色透明の使い方がある
75.話し言葉は、相手や手振り、身振り、その場の映像、文脈などのより助けられている。文章は助けはなく、孤軍奮闘、どこにも味方がいないと同時に、非常に自由。文章を勉強する上では何事においても、文章は孤軍奮闘であることを認識する必要がある
87.日本語を自分の外の客体として意識せねば、これを道具として文章を書くことは出来ない。文章というのは日本語を外国語として取り扱わなければならない
92.恐れるのは定義不足。もっと言葉を大切にしなければならない
101.文章を書くのには、日本語に対する甘ったれた無意識状態から抜け出さなければならない。日本語を自分の外部に客観化し、これを明瞭に意識化しなければならない
109.書くというのは、空間的併存状態にあるものを時間的継起状態へ移し入れることである
117.文章を書くというのは、空間を時間に直すこと。「が」は極めて緩くしたつながらない。「ので」「のに」「ゆえに」「にもかかわらず」などは堅く結びつけることが出来る
146.文章には、攻める面と守る面がある。文章を書くとき、私たちは攻撃と守備という二つの活動をする
150.着実な勉強ぶりを立証するために書かれる論文では、引用句が非常に多くなる。攻める要素が少なくなり、守る要素が多くなる
187.自分で表現に苦しみ堪えて初めて本当に理解することが出来る。表現を伴わぬ理解は、まだ真実の理解であることが出来ない
 
 
書くことは能動的な行為でありエネルギーが必要。
短文からはじめる。短文を書けば新たな疑問や閃きがうまれ、それからまた短文を作成する。短文は部分品であり、必要なものと不必要なものが出てくるだろう。自分の書く目的に合わせて、それらを組み合わせて文章を完成させる。
「が」というのは色々な意味をあらわすことができる万能選手であり読み手に負荷をかけないし、文字数も少ない。「しかし」「それゆえ」などしっかりした接続詞でつなぐことは読者に負荷をかける。しっかりした文章を書くのであれば「が」を多用せずにしっかりとした接続詞、接続助詞を使うことを心がける
文章を勉強する上では何事においても、文章は孤軍奮闘であることを認識する必要がある。話し言葉は、周囲の状況や相手により補完されることはない。
書くという行為は、空間的併存状態にあるものを時間的継起状態へ移し入れることである。
日本語に対する甘ったれた無意識状態から抜け出す必要がある

 

論文の書き方 (岩波新書)

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